2005年09月11日

星月夜

 いやはやご無沙汰しております。約1週間ぶりの更新です。
お待たせしたお詫びと言ってはなんですが、今回は久々に写真アリの記事です。でも「単なる歌舞伎好きのド素人」が撮った写真なので、ピンぼけ・構図が変なのはご容赦下さい。

 いやぁ〜、『白浪五人男』の舞台となっている鎌倉の地域の大半は、昔ながらの住宅街ですので、写真撮るのも一苦労ですわ。こじんまりとした住宅地の中にポツンと句碑があったりするので、付近の住民の迷惑にならないようにコッソリと写真を撮って、ブログにupする時は、なるべく民家を写さないように写真を加工しなければいけないのですから。

 
 鎌倉は「観光地」でもあるけど、大半は「観光とは無縁(の産業)」の人達が暮す住宅地でもあるので、市民の「生活の邪魔」をしてはイケナイと思います。これからもそのへんは気をつけて編集したいと思います。

 さて今回、紹介するのはakaju_thum.gif赤星十三郎セリフ

「又その次に連なるは、以前は武家の中小姓、故主の為に切取 注1 も、鈍き刃の腰越 注2 も砥上ケ原 注3 に身の錆を磨ぎ直しても、抜かねる盗み心の 注4 、柳の都谷七郷 注5 、花水橋 注6 の切取から今牛若 注7 と名も高く、忍ぶ姿も人の目に月影ケ谷 注8 神輿ケ嶽 注9 、今日ぞ命の明け方に消ゆる間近き星月夜 注10 其名も赤星十三郎」

にも登場する「星月夜の井戸」です。

hoshinoi2.jpg
 場所は江ノ電の長谷駅だと力餅屋さんのそば、極楽寺切通しの手前にあります。今年になってから、こんな手描きの案内板が張られるようになりました。

annai.jpg

井戸の側にはこんな句碑が立っています。建立されたのは昭和2年だから、旧仮名遣いバンバンですね。しかも送り仮名がカタカナってところが、読みにくさ倍増です。難しいですね〜。一体なんて書いてあるんだ?

hoshinoi3.jpg

とりあえず旧字体は読みにくいので、新字体で全文掲載してみました。

-星月井-

星月夜ノ井ハ 一ニ星ノ井トモ言フ 鎌倉十井ノ一ナリ 坂ノ下ニ属ス 往時 此附近ノ地 老樹翁欝トシテ 昼尚暗シ故ニ 称シテ 星月谷ト曰フ 後転ジテ星月夜トナル 井名蓋シ 此ニ其ク 里老言フ 古昔此井中 昼モ星ノ影見ユ 故ニ此名アリ 近傍ノ婢女 誤ッテ 菜刀ヲ落トセシヨリ以来 星影復タ 見エザルニ至ルト 此説最モ里人ノ為ニ信ゼラレルガ如シ 
慶長五年六月 徳川家康京師ヨリノ帰途 鎌倉ニ過リ 特ニ此井ヲ見タルコトアリ 以テ 其名 世ニ著ハハルヲ知ルベシ 水質清冽 最モ口ニ可ナリ 

-昭和二年三月建 鎌倉町青年団- 

訳:-星月井-

星月夜の井戸は鎌倉十井(かまくらじゅっせい)の一つで、星ノ井とも言います。坂ノ下にあります。この付近の地はいつも、木々が鬱蒼としていて、昼でも暗かったので、星月谷と呼ばれていました。後に転じて星月夜となったようです。井戸の名前はおそらく、この地の通称にちなんだものだと思われます。

このへんの老人が言うには、最も多くの里の人に信じられている伝説として、『昔、この井戸の中は昼でも星(の影)が見えたために、この名がついたとされますが、近所の召し使いがうっかり菜切り包丁を井戸に落として以来、星の影が見えなくなってしまった』という伝説があります。 
 
慶長五年の六月、徳川家康が京都から江戸への帰りの途中、鎌倉にも立ち寄った際、この井戸を訪れて以来、世間一般に(その存在を)知られるようになりました。水質は澄んで冷たく、飲むのに最適です。 昭和二年三月建 鎌倉町青年団

ふぅ、どうにか訳したぞ!と思ったら、なんと近くには現代語版が!!    

hoshinoi1.jpg

参考になったサイトは鎌倉シチズンネット(KCN)が運営している「e-ざ鎌倉・ITタウン」の中の鎌倉史跡事典(星月井)と、Area 星ノ井(Area2Web)です。

以上の2サイトの管理人さん、勝手にリンクしてしまいました。事後報告で申し訳ありません。

[脚注]


注1 切腹。「切取り強盗」の略か。

注2 こしごえ・現在の鎌倉市腰越。古くからある漁師町で、江の島や龍口寺にも近い。満福寺がある。

注3 とがみがはら・現在の江ノ電の石上駅付近。江ノ島弁財天への参道である江ノ島道に沿った細長い集落のこと。砥上は土甘郷(とかみごう)が、砥原という広い荒れ地の呼名となり、 後にそこに出来た集落名になったともいわれている。「身の錆をとぎ直す」と語呂合わせ。

地図

注4 『ゴレンジャー』の「ミドレンジャー」のモデルとなったと思われる箇所。赤星のモデルといわれている白井権八が登場する歌舞伎『江戸名所緑曾我(緑曾我)』に由来か?

注5 やつしちごう・山に囲まれた地形の鎌倉には、七つの谷(やつ)がある。

鎌倉谷七郷とは「小坂(おさか・鎌倉市小袋谷周辺の旧地名・JR横須賀線の大船駅と北鎌倉駅の中間にある)・小林(現在の鶴岡八幡宮のある旧地名・小林クに由来か?)・葉山(現・三浦郡葉山町)・津村(鎌倉市津・腰越〜西鎌倉近辺の地名)・村岡(現・藤沢市)・長尾(現・横浜市栄区長尾台近辺)・矢部(現・横浜市戸塚区矢部町近辺)」の事。

「谷間の七つの郷」=「鎌倉中」。

注6 はなみずばし・神奈川県平塚市と大磯町の間を流れる花水川に掛かる橋。実は隅田川に掛かる吾妻橋のこと。

注7 いまうしわか・義経の幼名が「牛若丸」だったことから「現代版・義経」。女のように美しく、身軽な美少年のこと。

注8 つきかげがやつ・「月影地蔵」の場所は現在の鎌倉市極楽寺三丁目、稲小(体育館側の道路の方)の先あたり。今でこそ整備されているが、このへんに「おばけトンネル(通称おばトン)」があり、昔は真っ暗でコウモリも飛び交っているような地域であった。

※阿仏尼の『十六夜(いざよいにっき)日記』にも出てくる「月影ヶ谷」は、正確には江ノ電沿線の極楽寺駅と稲村ヶ崎駅の間の、江ノ電の整備工場の近くの踏み切りを渡ったところ周辺だそうです(10月10日追記)。

注9 みこしがたけ・現在の鎌倉市長谷の甘縄神明社の裏山周辺と伝えられている。

注10 ほしづきよ・月のない星空と、極楽寺切通しの先・坂の下にある星月夜の井戸とをかけている。

※この演目にも登場する「御輿ヶ嶽」や「月影ヶ谷」、「砥上ケ原」などの地名は、「住所番地」の「正式な地名」の意味ではなく、昔から伝わるその場所(=集落)を指す「通称名」みたいなものです。
posted by fuji_nishi. at 18:23 | Comment(3) | TrackBack(0) | 赤星十三郎
この記事へのコメント
歌舞伎に出てくる地名に興味があって、このページ好きです。
昨年は、伊東へ曽我兄弟の縁の地を訪ねました。
五人男の地名も調べたのですが、とてもここまではわかりませんでした。また、切取は切取強盗のことかと思ってました。
大変勉強になります。
これからも、また寄らせて頂きますので、よろしくお願いします。
(コメント初心者です、これでよろしいのですか。)
Posted by piropyon at 2005年09月17日 15:13
piropyonさま

コメントありがとうございます。
いえいえ、私もまったくのコメント&トラバ初心者ですので大丈夫ですよ〜。

>切取は切取強盗のことかと思ってました。

いや、「切り込み強盗」の方が正しいのかも。なにぶん「思い込み」の激しい性格なので、勢いにまかせて書き込んでいることも多いもので(汗)。今度、調べ直してみます。こちらこそ勉強になりました。ご指摘ありがとうございます。

piropyonさんも歌舞伎がお好きなんですね。曽我兄弟ゆかりの地の旅行に出掛けるなんて、本格的ですね!伊豆の旅はいかがでしたか?神奈川でも、平塚や大磯、小田原のあたりは曽我兄弟に関する伝説や行事が多いみたいです。

曽我兄弟は「歌舞伎」の題材として、よく出てくる(けど知らないことの方が多い)ので、ゆくゆくは調べていきたいな〜と、思っておりました。

それから、こんなブログでも宜しければ、また何度でもお立ち寄り下さい。こちらはいつでも大歓迎です。本当に書き込みありがとうございました。
Posted by fuji-nishi at 2005年09月18日 14:55
失礼。「切り込み強盗」は「切取強盗」の間違いでした。
Posted by fuji-nishi at 2005年09月18日 20:28
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